ある種の歯周病菌が口腔から血管網に入り、子宮に到達した後、早産や死産を起こした症例が報告
されています。若い女性にとって、歯周病は縁遠い存在かもしれませんが、歯肉炎は知らぬ間に女性の
歯肉を襲っています。最近流行のスイーツや菓子パン、清涼飲料水は、多量の砂糖を含んでいるため、
容易にプラークの付着と歯肉炎を誘発します。赤く腫れ、出血する歯肉を放置したままで妊娠すると、
歯肉炎の影に潜んでいる歯周病菌が、大切な赤ちゃんを襲うことになるかもしれません。
歯周病に関連する細菌は、歯周病の発症・重症化への影響度に応じて、ピラミッド状のグループ化が
行われています。 ピラミッドの最上部には、最も病原性の高い“レッドコンプレックス”が存在し、
3種類の細菌から構成されています。レッドコンプレックスの下方には、“オレンジコンプレックス”が
控えていますが、その構成細菌の1つが「フソバクテリウム・ヌクレアタム」です。 フソバクテリウ
ム・ヌクレアタムは、歯周病菌の中でも多数を占める、ごくありふれた口腔内細菌なのですが、悪条件
が重なると、恐ろしい事態を引き起こすことが明らかになっています。
2010年、35歳のアジア人女性が、39週と5日、あと数日で無事に初産を迎えようとしていた
明け方、赤ちゃんが突然動かなくなっていることに気づきます。急いで大学病院を受診したところ、
すでに胎児の心拍は停止していたのです。この母親は出産前から妊娠関連歯肉炎による歯肉からの出血
を認めており、死産の3日前に上気道炎に罹患し、37.8℃の発熱を来していました。 猛烈な臭いを
放つ羊水に続いて、悪臭が染みついた遺児が取り上げられ、解剖の結果、胎盤、臍帯(へその緒)、胎児
の肺と胃に、多量の細菌が認められ、死因はフソバクテリウム・ヌクレアタムによる劇症肺炎および
敗血症と結論づけられたのです。 胎児の大腸にフソバクテリウム・ヌクレアタムは存在しなかった
ため、死産直前の感染であったと考えられます。感染経路を同定するために、母親の膣、直腸、歯肉縁
上プラーク、歯肉縁下プラークから採取した細菌遺伝子を解析したところ、胎児で確認されたフソバク
テリウム・ヌクレアタムと遺伝子型が一致したのは、歯肉縁下プラークのみでした。 これらの解析結果
から、歯肉縁下のフソバクテリウム・ヌクレアタムが血行性に子宮内へ転位し、肺炎と敗血症により
胎児を絶命させたことが、世界で初めて明らかになったのです。
研究によれば、フソバクテリウム・ヌクレアタムは、死産だけでなく早産にも関わっている可能性が
明らかになっています。 2009年に発表された研究によれば、早産を起こした妊婦44名のうち
48%、すなわち早産を起こした妊婦の2人に1人の割合で羊水中に細菌が同定されたのです。 同定
された細菌のうち、最も高頻度(33.3%)に認められた細菌は、フソバクテリウム・ヌクレアタム
でした。 歯周病菌が早産・死産に関わっているという事実は衝撃的ですが、口腔と胎盤をつなぐさら
なる事実が存在します。 従来、細菌叢を解析するためには培養方法を用いるしかありませんでしたが、
歯周病菌や腸内細菌に代表される嫌気性菌は培養が難しく、その同定は困難を極めました。しかし、
近年急速に発展した遺伝子解析技術の進歩により、体内の細菌叢を遺伝子レベルで網羅的に解析する
ことが可能となったのです。 48人の胎盤中の16SリボソームRNA遺伝子を解析し、体内における
さまざまな細菌叢との比較検討を行いました。その結果、胎盤における細菌叢は口腔と最も高い相同性
を示したのです。この事実もまた歯周病菌が血行性に移転してる事実を示唆していると考えられます。
歯周病の妊婦さんが全員、死産や早産を起こすわけでは決してありません。しかし、たとえ稀では
あっても、歯肉から出血する状態を放置しておくと、口腔子宮感染症を起こすことがあるのです。
ならば、赤ちゃんを希望する女性が、今から備えることはただ1つ。受精してからでは遅すぎるので、
未来のお子さんが「マイナス2歳の時期」から、口腔ケアに取り組むのです。ただし、歯周病は唾液で
容易に感染しますから、自分の行動だけでは足りません。この機会に、パートナーやご両親も巻き込み
「家族総出のお口のケア」に努めてみてはいかがでしょうか?
〈感想・まとめ〉
妊婦・パートナー検診で来院された患者さん、来院中に妊娠された患者さんには院長から母子感染の
説明がありますが、その前の「マイナス2歳の時期」からの歯周病予防の重要性を知りました。
妊娠・出産についてはデリケートな問題ですので、患者さんと信頼関係を築き、負担のないようお話
できればなと思いました。
衛生士 池口